小倉百人一首について









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小倉百人一首

 文暦二年(1235年)頃に歌人の藤原定家が、息子為家の義父、蓮生入道(宇都宮頼綱)の依頼により、頼綱の別荘である京都・嵯峨の「中院山荘」の障子(現在の襖)を装飾するため、和歌を色紙に揮毫しました。これらの和歌が小倉山にあった定家の山荘で編纂されたことから、「小倉山荘色紙和歌」「小倉色紙」などとと呼ばれ、後の「小倉百人一首」の元になったと考えられています。

小倉百人一首ホームページ

 この小倉百人一首ホームページは1996年頃、最初に開設され、その後何度か更新されていましたが、最近はかなり長い間、放置されていました。ずっと気にかけてはおりましたが、なかなか手がつけられずに、現在に至ってしまいました。
 ようやく少し時間ができたので、この際、思い切って全面的に一新することにし、新バージョンの公開に漕ぎ着けました。
 新しいバージョンでは、デービッド・ブルさんの挿絵(版画)はそのままに、和歌の表示を新しいフォントで組み直したほか、毛筆(模写)を加えました。和歌のページには広告バナーも表示していませんので、より趣のあるページになったと思います。
 それに加えて十首ごとの表示機能も加えました。学習等にお役立てください。番号順の他にシャッフルしてランダムに表示できます。
 索引からの表示は番号順に和歌一覧を表示させる他、上の句の最初の文字でも検索できるようになりました。
 和歌表示から、和歌や作者についての解説も従来通りご覧になれます。また、和歌の表示を行っているときでも、音声と和歌表示(フォントあるいは毛筆)の切り替えができるようになっています。
 各ページの左上部に操作説明ボタンを設けましたので、操作がご不明の場合にご利用ください。

画像等を利用させていただいた方々

挿絵画像、背景画像等を使わせていただいた方々です。(敬称略)
デービッド・ブル David Bull(歌仙画像・版画)
株式会社大石天狗堂(読札画像)
綺陽装束研究所(背景画像、ボーダー画像等)
Double-J Design(ボタンアイコン)